寺川でJEFに勝ちたい

2000年の開幕戦の数日前、新潟は1人のボランチと契約した。
JEFサポでもあった「ねな」氏は言った。
「幽霊とるのかよ」
1999年、エンゲルスが指揮するJEFでボランチを務め、降格争いの戦犯扱いされた男。
それが寺川だった。
「幽霊」とは「試合中に“消えて”しまうから」だということだった。
前年に秋葉とボランチを組んでいた瀬戸を失った新潟の、選択だった。

寺川、秋葉、公平、式田、木澤、永井監督。
2000年の新潟は、永井コネクションで、JEF在籍経験のある選手が多かった。
俺たちは、そのアルビレックスで、J1を目指して戦っていた。

多くは語るまい。
俺は、寺川と一緒に、JEFに勝ちたい。
俺達をJ1に連れてきてくれた、あの頃の選手たちへの思いとともに。

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DORO について

アルビレックス新潟とハードSFとメジャーなキャラクターじゃないぬいぐるみが好き。破れたハートを売り物にして生きてます。「つまらぬ、とるにたらぬやさしさから、自分の得たものをひとにゆずり、結局ふと気づいてみれば、ひとの世話だけやくものになっている、そんなばかなやつ(by 斎藤惇夫)」です。
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寺川でJEFに勝ちたい への1件のフィードバック

  1. DORO より:

    追記。
    ジャイアント宴会でひさびさに「ねな」に会うことができた。
    でだ。
    今の寺川しか見たことがない人にはわかんないわけだが、2000年シーズン当初の寺川は、「ねな」が言うとおり、
    かなりヤバかったことを記しておこう。
    平塚でのベルマーレ戦の時なんか、ゴール裏で試合開始前に、
    「今日は寺川プッシュデーにするから。寺川がボールに触ったらとにかく寺川コールね」
    って相談して本当にそうしていたくらいだった。
    ヤバくなくなったのは、今の髪型に変えてからかな。
    それが2001年には夢のようなアタッキングサッカーの一翼を担ってくれるようになったわけで。
     
    「市原臨界ゲルトダウン」かあ。懐かしいねぇ。
     

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